ボニー&クライド取り上げられすぎ問題

アンチヒーローアウトローか。
はたまたカルチュラルアイコンとでも呼ぶべきか。

泣く子も黙る?
ボニー&クライド

ボニー&クライド

殺伐とした時代を駆け抜けた稀代のヒーロー・・・
ではなく極悪人の二人組です。

彼らを題材とした作品は世の中に数多くあります。

映画や舞台、書籍に始まり
もちろん音楽も。

しかし、僕にはどうにも解せんのです。

だって極悪人ですよ?

ルパンとかピカレスクロマンが〜、みたいなレベルの話じゃないってば。

ちょっと取り上げられすぎやろ。

ボニー&クライドとは

ボニー&クライド」、または「ボニーとクライド」とも呼ばれますね。

1930年代にアメリカで活動した
Bonnie Parker(ボニー・パーカー)と
Clyde Barrow(クライド・バロウ)の
男女犯罪コンビです。

恋人同士でもあります。

ボニーは1910年生まれ。
幼いころに父親を亡くし、母親の手によって育てられます。

Bonnie Parker

普段は優等生だが
一旦スイッチが入ると手がつけられないという、

いわゆる「キレたら何するかわからない」タイプだったようで。

クライドと出会うまでは犯罪に手を染めたことはなかったようですが
車で飛ばすのも好きだったらしく、かなり激しい性格だったんでしょう。

クライドは1909年生まれ。
貧しい農家の7人兄妹中、5番目の子です。

Clyde Barrow

辛い幼少期を過ごしたせいか、
10代のうちから窃盗・強盗などの犯罪に手を染め逮捕されます。

1930年、21歳の頃にボニーと出会いすぐに意気投合
二人は恋に落ちますが、

また逮捕され収監されることに。

この服役中に別の囚人を殴って殺害するというあたり
まぁ、こちらもかなり激しい性格だったことがうかがえますね。

そして1932年、クライドが出所したのちに
二人の本格的な犯罪活動が始まります。

窃盗・強盗・殺人を繰り返し
“何か”から逃れるように、文字通りの逃避行を続けます。

犠牲になった人の中には、一般人だけでなく警察官もいました。

警察が手を焼いた理由の一つに法律があります。

当時のアメリカは
犯人が管轄区域外に出たら(州をまたいだら)追えませんでした

犯行現場ではクライドが実行役、ボニーが車で待機。
“こと”を済ませたら猛スピードで州外に逃亡、というお決まりの手順で捜査の手を免れます。

また二人がよく使用していた車(盗難車)は
フォード社の「フォードV8」という、当時としては最高速度が群を抜いたもので
警察車両もなかなか追えなかったといいます。

読んで気持ちいのいい内容ではないので詳細は省略しますが
とにかく多数の凶悪犯罪を犯し、逃亡生活が2年間ほど続きました。

そして1934年
逃走経路の情報を入手し、先回りして待ち伏せていた警察官らによって、

二人は射殺されます。

車に乗った状態で150発以上もの連射を受け
壮絶な最期を迎えたのでした。

取り上げられた作品

ここでボニー&クライドが取り上げられた作品を見ていきます。

やはり一番有名なのは
映画「Bonnie&Clyde」でしょう。

1967年のアメリカ映画です。
監督はArthur Penn(アーサー・ペン)氏。

ヘレン・ケラーとその恩師サリヴァン先生を描いた「奇跡の人
の監督としても有名な方ですね。

邦題は「俺たちに明日はない」。

俺たちに明日はない
Bonnie&Clyde / アーサー・ペン監督

邦題を聞けばピンとくる人もいんではないでしょうか。

1967年ということは
二人の没後33年経っています。

制作された経緯はわかりませんが、33年も経っているとなると
リアルタイムに二人の凶行を知っていた&感じていた世代ではなく、

若い次世代向けに作られた映画でしょう。
映画評論家たちの予想に反して、大ヒットとなりました。

他にもかなりの映画や舞台作品で取り上げられています。

音楽作品でいえば、

宇多田ヒカルの「B&C」


シーナ&ロケッツの「ボニーとクライドのバラード」


BOØWYの「ROUGE OF GRAY」


TM Networkの「Self Control(方舟に曳かれて)」

洋楽でも
Brigitte Bardotの「Bonnie and Clyde」


Beyoncé feat. Jay-Zの「’03 Bonnie & Clyde」


Taylor Swiftの「Getaway Car」

などです。
有名どころをザっと挙げましたが、マイナーなところも含めればもっとあります。

映画や舞台は物語なので
ボニー&クライドの半生を描いたものが多いんですが、

音楽のほうは
歌詞の中に「ボニー&クライド」というワードだけが出てくることが多い印象ですね。

二人の半生を歌詞にするというよりは
「何かから逃げる」とか「自由を求めること」の比喩として表現されています。

単純に二人の生き方を礼賛しているとか
そういう方向性ではないようです。

なぜ多くの人を魅了するのか

擁護する余地もないような極悪人の二人が
なぜこれほどまでに取り上げられるのか。

理由は様々あるでしょうが
一番はやはり恋人同士という点じゃないでしょうか。

しかもルックスも良いというね。
実際モテていたみたいだし。

そして車での逃亡劇でしょう。

社会的に抑圧された美男美女の恋人同士が、やむを得犯罪に手を染め
何かから逃れるように、そして自由や自分たちの居場所を求めて、逃亡を繰り返す。

こういった構図が、なんとなく人々の関心や興味を
“そそる”んだと思います。

確かに当時のアメリカは世界恐慌まっただ中で
経済的に疲弊しており、社会に対する不満は充満していました。

その社会全体や警察などの権力に対して抵抗する若者二人
罪は犯すが、世の間違いを正してくれるどこか憎めない二人

という錯覚があったんでしょう。

そう、錯覚です。

ピカレスクもの、つまり「ルパン」や「ねずみ小僧」などは
盗みという罪ははたらくんだけども、

巨大な悪から盗み、それを世の弱者などに分配する
盗み以外はやらない
という、ある種の生き様・哲学のようなものがあります

しかしボニー&クライドの二人は
巨悪に立ち向かったわけでもなく、弱者のために何かをしたわけでもありません。

ただ単純に自分たちのだめだけの犯行
快楽的な犯行です。

たくさんの人の命も犠牲にしています。

まっっったく違うでしょ、ルパンとは。

冷静に考えれば
持ち上げる気なんて起こらないと思うんですが。

一定数の人には
自由を求めた男女の逃亡劇
逃亡しきれなかった悲劇のカップル
という見え方になってしまうようです。

いわゆるハイブリストフィリアってやつでしょう。
本気で持ち上げているならね。

最後に

ボニー&クライドを作品に取り上げる
それ自体を批判するつもりはありません

前述したとおり、音楽作品は
礼賛というよりは「逃亡の比喩」という切り口が多いです。

「ボニー&クライドのように」
「逃げる・走り抜ける」
のような歌詞がほとんど。

つまり「逃亡」へのフォーカスであって
「凶悪犯罪」へのフォーカスはされていません。

映画や舞台はまぁ別にね。
ヤクザ映画・マフィア映画とかもあるくらいだから。

ただ、やっぱり
ヒーロー的な扱いをするのは違うんじゃないのと個人的には思うんですよ。

アンチヒーローにしてもちょっとやりすぎやろ。

まぁアーティストやクリエイターって人種は
反体制・反政府のような指向が多いし仕方ないのかも。

ボニー&クライド。
もう少し違う生き方をして後世の人に影響を与えてほしかった、と

個人的には思います。

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